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広島平和記念日に思う

2009/08/06 木曜日

 64年前の今日、午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、広島市上空で原子爆弾を投下した。
 原子爆弾のエネルギーは爆風・熱線・放射線となり、市街を壊滅。
 その後、原爆症等で亡くなった人を含め、犠牲者は25万人以上に登るそうだ。

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 私たち夫婦は、2005年の春から秋にかけて、電動バイクと250ccスクーターでの世界一周の途中、ヨーロッパを旅していた。

 その時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国に立ち寄りました。
 その国は、1992年にユーゴスロビアという国から独立した新しい国。

 今日は、ちょっとその国の話をしたいと思います。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴヴィナ地方と呼び、これを合わせたものが国名となっているそうだ。
 セルビア正教のセルビア人、イスラム教徒のボスニャク人、カトリック教徒のクロアチア人が混在して暮らしている国で、それぞれの文化が混ざり合った、独特の文化が生まれている。
 そんな異文化の人たちが混じり合っていたにもかかわらず、以前は、異なった民族同士の結婚もあたりまえで、それなりにうまくやって来ていたそうだ。

 しかし、1991年頃から、スロベニア、クロアチア、マケドニアなどの国々が、旧ユーゴスラビアから独立すると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにも独立の気運が高まる。
 そして、ユーゴスロビア連邦にとどまることを望んだセルビア人と、独立を望むボシュニャク人やクロアチア人の間で対立が始まる。
 その後、数の上で優位だったボシュニャク人権力に対抗すべく、クロアチア人も立ち上がり、最終的には、3民族の争いへと発展していった。

 内戦は、それぞれの「陣取り合戦」のようになっていき、「民族浄化」という名の下に、見せしめ的な殺人や暴力が横行し、3民族それぞれが加害者でもあり被害者でもあったそうだ。
 それは、異民族間の結婚が進んでいた状況の中で、家族をも殺し合うような不幸な争いとなってしまった。

 20万人の死者と200万人以上の難民・避難民を出した紛争は、1995年に国際連合の調停で和平協定に調印され、終結。
 それは、たった14年しか経っていない、ごく最近の出来事でもある。

 日本に暮らしていると、戦争はとても遠い話、過去の出来事、TVやニュースでしか聞かない現実味のない物語…、としか思えないかもしれない。
 でも、その当時のボスニア・ヘルツェゴヴィナには、まだ確実に、その争いの跡があちらこちらに残り、無言で、私たちに何かを教えてくれていた気がする。

0IMG_5844.jpg
壁に残る銃弾の跡に、たくさんの落書きがあった。何を思って書いたのか…


0IMG_5814.jpg
横断歩道に残る銃弾の跡。道を歩いている人たちを、無差別に狙ったそうだ。


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銃弾の跡の残るアパートでは、普通の暮らしを取り戻しつつある。


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これが、戦争が残した最大の痛み、数え切れないほどの墓石だ。


 ボスニア・ヘルツェゴヴィナを旅していた間、私たちは何度も言葉を失った。
 重苦しい気持ちに押しつぶされそうになったり、涙が溢れてくることもあった。
 
 けれど、今を生きているボスニア・ヘルツェゴヴィナの人々は、とても前向きで、そして、とても優しい人々だった。

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 戦争ってなんなんだろう、権力や宗教や、領土や利権をめぐり、人間同士が争う。
 それは、本当に必要なものなのだろうか、どうやっても逃れられないものなのだろうか…

 世界唯一の被爆国である日本。
 何があっても、戦争を正当化してはいけないと思う。

 
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