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上野のおばさん

2010/04/16 金曜日

私たち夫婦は、1997~1999年にかけて、カブ50cc2台で北南米縦断の旅をしていた。
カナダ・アメリカを走って、メキシコに入ってからは、あちこちで日本人宿にも滞在し、気の合う仲間もできた。

そして、ある時、そんな数人の仲間たちと、「クリスマスと年末年始を一緒にウシュアイアで過ごそう!」と誓い合う。


みんなが目指したウシュアイアという南米大陸最南端の町には、上野さんご夫婦がご厚意で旅人を受け入れている『上野山荘』と呼ばれる日本人宿があった。
私たちはみんなに再会することはもちろんだけれど、そこに行くのを、そして上野さんご夫婦に会えることを、とても楽しみにしていたのだ。


結局、みんなと会う約束の日よりも10日も遅れて到着したため、もう誰にも会えないんじゃないかと心配したが、な・な・なんと懐かしい顔ぶれがみんな揃っていたよ(嬉)


思えば、ウシュウアイアに到着し、最初に上野のおばさんに会ったとき、「やっと着いたね、みんな待っているよ!」と言ってもらったんだっけ、そのおばさんの一言が、なんだかすっごく嬉しかったことを覚えている。
上野のおばさんは、当時、80歳近くだったというのに、すごい記憶力で、みんなの名前はもちろんのこと、誰がいつ着いたか、誰がなんて言っていたか、ちゃぁーんと覚えていたっけ。
そんな上野のおばさんは、厳しい土地で生きているにもかかわらず、上品な雰囲気を失わず、穏やかだけれど、すっごく元気でかわいい方だった。

そして、上野のおじさんの方はと言えば、それはそれは個性的で、チャーミングで、みんなのことを想って気を配ってくれ、優しいけれど礼儀には厳しい方だった。
宿には、日本人の若者が沢山滞在していたが、おじさんは挨拶が出来ないやつが大嫌い、嫌いなやつには「おまえ、いつ出発だ?」と聞くので、すぐ分かって可笑しかったけ(笑)。

2週間以上も滞在した『上野山荘』での思い出は、本当にたくさんある。
おばさんと一緒に料理を作ったりもしたし、毒舌のおじさんには、とってもかわいがってもらった。


日本からのTV取材の人たちが来るとのことで、部屋を空けなければならなくなり、仲間のひとりのお誕生日にアサードパーティを開催したのを最後に、ひとりふたりと出発していった。
ぐずぐずと出発を遅らせていた私たちも、すっかりみんなを見送り、とうとう出発することとなる。

出発の朝、前日まで体調を崩して寝込んでいたおじさんが、見送りに来てくれた。
長期滞在していた仲間が最後のひとりとして残り、おじさんとふたりで手を振ってくれていた姿を、今でも忘れられない。
そして、おじさんが最後に「淋しくなるな…」とつぶやいたあの声を、一生忘れることはないだろう。


そんな思い出の地を再び訪れ、おじさんとおばさんに再会する夢は叶わなかった。
数年前におじさんが亡くなり、先日、おばさんが永眠されたそうだ。


毒舌のおじさんも、本当はすっごい寂しがり屋だったんだと思う。
今頃、おばさんと天国で再会し、照れくさそうな笑顔を見せているのではないだろうか…

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心よりご冥福をお祈りいたします。


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| 23:02 | 旅の思い出 | コメント(2) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

電動バイクの未来

2009/09/04 金曜日

 今日、電動バイクで世界一周の時にお世話になったヤマハの方が自宅に来ました。
 ただ、ちょっとした書類のためだったのですが、ひさしぶりに電動バイク 『パッソル』 の話で盛り上がってしまいました。

06_1b.jpg

 私たち夫婦は、2004~2008年にかけて、電動バイク 『パッソル』 と、荷物持ちとして参加した250ccスクーター 『マジェスティ』 で、『電動バイク世界一周』 の旅をしました。
 それはそれは、笑いあり涙ありの、思い出深い旅でした。

 でも、私たちの旅が終わってしばらくした頃、残念なことに、パッソルは発売中止になってしまいました。
 その発売中止というのは、かんいちの活動にも大きな影響を与え、旅の本を出す話も、撮りためていた映像の利用も、道が閉ざされてしまった感じでした。
 まぁ、そこにはきっと、不況という大きな波もあったのかもしれませんが…

 結局、かんいちは気持ちを前に向け、新しい旅 『国道全制覇!10万キロの旅』 を、50ccバイク 『カブ』 で始めたわけです。

 でも、パッソルでの旅のことは、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思い続けています。
 パッソルは、バッテリーに不具合が出てしまい、リコールになり、発売中止まで追い込まれてしまったわけですが、私たちがした長い長い旅の間、モーターにも車体にも、何も問題は発生しませんでした。
 5万キロを走った旅の間、ずぅーっと同じバイクで走り続けることができたし、パンク以外にはトラブルなし、普通のバイクのようにオイル交換したりのメンテナンスも必要ないし、なにより、パッソルに乗ると、みんな笑顔になってしまう、という素敵な乗り物だったのです。

 パッソルでの旅の楽しさを話し出したら止まらなくなる私たち夫婦。
 いつかまた、この旅の話を沢山の人に伝えることができたらいいな、と思っています。

 今は発売中止のままのヤマハの電動バイクですが、いつかまた、発売される日が来ると信じています。これからの時代、絶対に必要だもんね。
 その時には、また私たちの旅のことを知ってもらうチャンスも出てくるでしょう。

 そんな日が来たら、声を大にして言いたいと思っています。
 電動バイクの素敵さや可能性、そして、旅のすばらしさを!

 来年の春には、そんな電動バイク世界一周旅の写真展を、品川にあるキャノンSタワーのオープンギャラリーで開催するという話が進んでいます。
 内容や日時がきちんと決まったら、また報告しますので、ぜひ遊びに来てくださいね♪


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ひさしぶりに旅の話をしたら、またどこかに行きたくなってしまいました。
「やっぱりバイク旅っていいよねぇ~」 と思ったら、あなたもクリックを!

| 21:59 | 旅の思い出 | コメント(3) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

『電動バイク世界一周』

2009/08/10 月曜日

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 2004年春、100%電気で動く電動バイク 『パッソル』 での世界一周が始まった。

 当初、1本のバッテリーでは、わずか20kmしか走ることができず、そんな非力な電動バイクだけで世界を走るには、さすがに無理があった。
 電動バイクだけで旅したかったのはやまやまだったが、いつかは、電動バイクが世界中を当たり前に走っている日を夢見つつ、今回は私が、250ccスクーター 『マジェスティ』 に乗り、荷物持ちとして伴走するこことになった。
 それでも、車が全ての荷物を積んでくれて、気軽に空身で走れるのとは訳が違い、必要最小限、夫婦と2台で力を合わせなければ、少しも先に進めないような旅だった。
 これが、電動バイクでの最初の一歩。
 「きっと次は、電動バイク2台で旅ができるね」 と、私たちは、その日を楽しみにしていた…。

 
 旅行期間 4年 (2004年3月~2008年5月)
 何度か日本に帰国していた期間もあり、実際の旅行日数は、983日間

 訪問国 45ヶ国 アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの国々を走った。

 走行距離 パッソル約5万キロ、マジェスティ約6万キロ
 滞在中、マジェスティにタンデムで出かけることもあったので、2台の走行距離が違います。
 パッソルでの距離が、旅として本当に走った距離だろう。

 バッテリー交換数 約1400回
 このバッテリー交換というのが、電動バイクならではのもの。
 今では、懐かしい思い出です。


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これから、どんな旅の話をしていこうかなぁ~
なんだかこれだけでも、ものすごく懐かしい感じがします。
何か、聞きたい旅の間の話があったら、リクエストしてね。
いまだからこそ話せるような話も、むふふふふ…、と書いちゃいます♪

| 22:34 | 旅の思い出 | コメント(3) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

広島平和記念日に思う

2009/08/06 木曜日

 64年前の今日、午前8時15分、米軍のB29爆撃機が、広島市上空で原子爆弾を投下した。
 原子爆弾のエネルギーは爆風・熱線・放射線となり、市街を壊滅。
 その後、原爆症等で亡くなった人を含め、犠牲者は25万人以上に登るそうだ。

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 私たち夫婦は、2005年の春から秋にかけて、電動バイクと250ccスクーターでの世界一周の途中、ヨーロッパを旅していた。

 その時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国に立ち寄りました。
 その国は、1992年にユーゴスロビアという国から独立した新しい国。

 今日は、ちょっとその国の話をしたいと思います。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴヴィナ地方と呼び、これを合わせたものが国名となっているそうだ。
 セルビア正教のセルビア人、イスラム教徒のボスニャク人、カトリック教徒のクロアチア人が混在して暮らしている国で、それぞれの文化が混ざり合った、独特の文化が生まれている。
 そんな異文化の人たちが混じり合っていたにもかかわらず、以前は、異なった民族同士の結婚もあたりまえで、それなりにうまくやって来ていたそうだ。

 しかし、1991年頃から、スロベニア、クロアチア、マケドニアなどの国々が、旧ユーゴスラビアから独立すると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにも独立の気運が高まる。
 そして、ユーゴスロビア連邦にとどまることを望んだセルビア人と、独立を望むボシュニャク人やクロアチア人の間で対立が始まる。
 その後、数の上で優位だったボシュニャク人権力に対抗すべく、クロアチア人も立ち上がり、最終的には、3民族の争いへと発展していった。

 内戦は、それぞれの「陣取り合戦」のようになっていき、「民族浄化」という名の下に、見せしめ的な殺人や暴力が横行し、3民族それぞれが加害者でもあり被害者でもあったそうだ。
 それは、異民族間の結婚が進んでいた状況の中で、家族をも殺し合うような不幸な争いとなってしまった。

 20万人の死者と200万人以上の難民・避難民を出した紛争は、1995年に国際連合の調停で和平協定に調印され、終結。
 それは、たった14年しか経っていない、ごく最近の出来事でもある。

 日本に暮らしていると、戦争はとても遠い話、過去の出来事、TVやニュースでしか聞かない現実味のない物語…、としか思えないかもしれない。
 でも、その当時のボスニア・ヘルツェゴヴィナには、まだ確実に、その争いの跡があちらこちらに残り、無言で、私たちに何かを教えてくれていた気がする。

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壁に残る銃弾の跡に、たくさんの落書きがあった。何を思って書いたのか…


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横断歩道に残る銃弾の跡。道を歩いている人たちを、無差別に狙ったそうだ。


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銃弾の跡の残るアパートでは、普通の暮らしを取り戻しつつある。


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これが、戦争が残した最大の痛み、数え切れないほどの墓石だ。


 ボスニア・ヘルツェゴヴィナを旅していた間、私たちは何度も言葉を失った。
 重苦しい気持ちに押しつぶされそうになったり、涙が溢れてくることもあった。
 
 けれど、今を生きているボスニア・ヘルツェゴヴィナの人々は、とても前向きで、そして、とても優しい人々だった。

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 戦争ってなんなんだろう、権力や宗教や、領土や利権をめぐり、人間同士が争う。
 それは、本当に必要なものなのだろうか、どうやっても逃れられないものなのだろうか…

 世界唯一の被爆国である日本。
 何があっても、戦争を正当化してはいけないと思う。

 
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| 15:08 | 旅の思い出 | コメント(0) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

皆既日食見えましたか?

2009/07/22 水曜日

 今日の皆既日食、どこかで見た人いますか?
 残念ながら、天気が悪いところが多く、見られた人は少なかったのでは…

 ちょうどTVで皆既日食のニュースをやっていたとき、かんいちから電話がありました。
 カブを走らせていると、雨が上がり、うっすら日が射してきたので、「もしかして…」、と空を見上げたら、な・な・なんと見えたそうです。
(さっきもう一度話を聞いたら、走っているときではなく、お寺にいるときだったそうです)
 
 場所が四国なので、部分日食ですが、携帯で撮った写真にも、三日月のようになった太陽が確認できます。
 いやぁ~、かんちゃん、これはラッキーなんじゃないのぉ~

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かんいちから送られてきた携帯写真!


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四国では雨続き参っているかんいちも、気分爽快だったのでは…
「あとは、匂いだけだね…」 で分からない人は、かんいちのブログで真相をチェック!

| 18:50 | 旅の思い出 | コメント(0) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

コツコツ作業中

2009/07/19 日曜日

o0165022010209334137.jpg この写真は、2007年に、電動バイクでの世界一周の旅が中断していた間、高速道路上下線全線&SA・PA停車の旅 をしていた時のもの。
 たしか、東北自動車道での事故渋滞だったと思うけど、その渋滞の最中、私が後ろのシートに座りながら、デジカメで撮った写真です。
 この連休、こんな風に渋滞に巻き込まれちゃう人、いっぱいいるんだろうなぁ~

 このときは、珍しく大きなバイク 『ヤマハドラックスター1100』 に跨り、タンデムで、日本中の高速を走り回ったのでした。
 しかし、1100ccのバイクで旅した前後は、まるでスピード感の違う 『電動バイクパッソル』 での旅を続けていたんだから、この切り替わりの気分って、どんな感じなんだろうね?
 まぁ、かんいちにとっては、そこんところはあまり関係ないのかもしれないけど…(苦笑)

 さて、そんな高速の旅ですが、現在、データをまとめ直す作業を、地道に進めております。
 制覇した高速道路57本、そこにある全てのSA・PAに立ち寄っているのですが、その全てのSA・PAのデータと写真を整理し、きちんと順番に並べていきます。
 あまりにも膨大な量で、ちょっと頭がくらくらしてきていますが、せっかくなので、ちゃんと完成させようと、がんばっている毎日なのでした。

 気が向いたら、私の作業の進み具合も兼ね、お出かけの下調べにでも使っていただければ幸いです。SA・PAもいろいろありますからねぇ~
 
 高速道路上下線全線&SA・PA停車の旅のブログ
  (3日に1回程度の更新頻度で、全日程の旅ブログを復活しています)
 高速道路上下線全線&SA・PA停車の旅のHP
  (ここに、全SA・PAデータをまとめる予定、まだ1/3ぐらいかなぁ~)

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| 13:33 | 旅の思い出 | コメント(0) | トラックバック(0) | ↑ページトップ |

おいしそうに見えますか?

2009/07/07 火曜日

 昨日の日記で、お肉の話をしたので、ちょっと世界一周をしたときの写真を引っぱり出してきました。

 写真は、ヨーロッパの旧ユーゴスラビアだったクロアチアという国のもの。
 クロアチアでは、長く内戦が続いていましたが、今は内戦も終結して平和になり、海は綺麗だし、どこも景色は良く、人々は優しくて、とても素敵な国です。
 クロアチアの人々は、辛かった内戦の記憶が、深く心に傷を残しているはずなのに、私たちにもとても優しく接してくれ、たくさんのいい出会ができました。とても思い出深い国です。

 まぁ、その話はおいておいて、今日は、昨日に引き続いて、そのクロアチアでのお肉の話…

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 これは、クロアチアのドライブインのようなところにあった看板。
 上から、焼き鳥のような肉の串刺しがお皿に乗っていますね。
 そして、二段目は、なんの動物でしょう…、たぶん羊か山羊だと思うのですが、すっかり火あぶりの刑にあっています。
 三段目に行くと、火あぶりになっているのは、ブタさんだと分かりますね…
 そして、四番目の動物は、いのししでしょうか。
 
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 で、その店先では、看板と同じような形の、動物というか肉のかたまりというか、それが丸焼きになっているのでした。
 それもこれ、道路から見えるところに設置されているんですよね。
 なんていうんですか、客寄せってことでしょ。
 クロアチアの人々は、丸焼きにされているブタや羊の姿を見て、「おいしそぉ~♪」 と思うわけですよね、きっと…

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 そして、そのレストランでは、こうして食べやすいように取り分けられたお肉が出てきます。
 もうここまできたら、日本人だって、「おいしそぉ~♪」 と思えるよね。
 焼きたてだし、確かにおいしかったですよ(笑)。

 ところ変われば、、「おいしそぉ~♪」 と思える形が違う、という写真でした。

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